3週末の活動。
5月14は土曜日は、Byron Bay近くでの知人宅で、ナダヨガワークショップとコンサート。
コンサートでは、マントラを唱え、キルタン。最後にシェンのタブラソロ。
オーストラリアは広いおうちが多く、リビングルームなどでのホームコンサートが盛ん。
最後は全員でおいしいパンプキンスープをいただいた。
次の日朝、徒歩5分のところにあるビーチへ。
けっこう大きな波。オーストラリアの波は、鎌倉の波に比べ、どこも大きい。
5月22日日曜日は、Cabooltureという(カボチャに似た音の)地名の場所にある、QUT大学キャンパスで開催された、Sacred Music Festivalに参加しました。
アボリジニー、アフリカ、フィジー、トルコ、インド、チベット音楽の約20分ずつのプログラム構成で、最後にはジャムセッションがあり、インドとトルコとチベットとアボリジニーが融合。
5月29日日曜日は、MalenyのAwakening Centreで、ナダヨガワークショップとコンサート。
Awakening Centreは、緑の美しい丘の上にあるヒーリング音楽のイベントやヨガクラスなどが行われている素敵な場所。
日の暮れる頃、コンサート。
平成23年5月31日火曜日
平成23年5月24日火曜日
平成23年5月23日月曜日
序文 ヨガについて
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序文
瞑想を含むヨガの科学は、人生に関するとてもわかりやすい教えである。
それは、人生とその存在に、大きな目標、神聖な意味、目的を与える。そのゴールは、私たちは永遠の存在、不死で、自由で完璧な、至福の魂であり、自然の法則に制限されることは決してないということを気づくことである。
人生の目的は成長することにある。成長とは、限界のある人間の性質から、無限の神の性質への成長である。その過程は、良い経験と悪い経験の両方を含み、多くの痛み、苦しみ、惨めさを伴う。しかし、そのゴールがとても幸せに満ちているために、そこに到達した聖人、仙人、神秘家達は、人生の悲劇や苦しみも全ては、喜ばれ大切にされるべき神からの贈り物だということを、深く誠実に保証してくれる。人生は劇であり、私たちは皆この劇の中の役者であり、神が監督である。神は私たちに自由な選択を与え、好きなようにゲームをプレーさせていながらも、あるルールに従わせ、取り組むべき運命を与える。また、その道にいくつかの感覚の快感による誘惑を用意し、私たちが神自身を愛するのか、神の贈り物を愛するのかを試す。人生の最大の目標は、神の恩恵によってのみ達成することができ、神の恩恵は、神の贈り物よりも神自身を愛することを学んだ時に降り注ぐ。
ヨガの科学は、その目標に到達するための方法を段階ごとに与える。一般的に、平均的な人間はその目標に到達するまでに多くの輪廻を繰り返す。ヨガは、短い時間で、できれば一度の人生で、どのようにその目標を達成するかを教える。
第1に、関節を自由にするエクササイズと呼吸法により、常に、そして高齢期でさえも、体を最適な健康状態に保つこと。
第2に、マインドを、あらゆる個人的な好き嫌い、偏見、欲望、誤解、間違った選択の繰り返しから自由にすること。
第3に、正直、真実、非暴力、不盗、知足、などの普遍的な原則に、困難な状況においてでも、とても厳格に献身すること。
第4に、瞑想。意識的に体と世界を忘れ、広大な意識と一体になることが瞑想の最高の状態である。そしてこれが、現実を理解し、悟りに至るための最も簡単な方法である。
第5に、神を見るための私たちの全ての力を具現化するために、全てに宿る神を愛し、神に仕えなさい。全ての存在に仕えることが、他のどんな業績よりも人間のハートの望みを満たす。
『Five Sheath Meditation』by Sant Shree Hari(www.meditationandyoga.in)
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リシケシのスワミジ、Sant Shree Hariに彼の著作の翻訳を頼まれたので、今後も出来次第載せていきます。
序文
瞑想を含むヨガの科学は、
それは、人生とその存在に、大きな目標、神聖な意味、
人生の目的は成長することにある。成長とは、
ヨガの科学は、その目標に到達するための方法を段階ごとに与える。一般的に、平均的な人間はその目標に到達するまでに多くの輪廻を繰り返す。ヨガは、短い時間で、できれば一度の人生で、どのようにその目標を達成するかを教える。
第1に、関節を自由にするエクササイズと呼吸法により、常に、そして高齢期でさえも、体を最適な健康状態に保つこと。
第2に、マインドを、あらゆる個人的な好き嫌い、偏見、欲望、誤解、間違った選択の繰り返しから自由にすること。
第3に、正直、真実、非暴力、不盗、知足、などの普遍的な原則に、困難な状況においてでも、とても厳格に献身すること。
第4に、瞑想。意識的に体と世界を忘れ、広大な意識と一体になることが瞑想の最高の状態である。そしてこれが、現実を理解し、悟りに至るための最も簡単な方法である。
第5に、神を見るための私たちの全ての力を具現化するために、全てに宿る神を愛し、神に仕えなさい。全ての存在に仕えることが、他のどんな業績よりも人間のハートの望みを満たす。
『Five Sheath Meditation』by Sant Shree Hari(www.meditationandyoga.in)
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リシケシのスワミジ、Sant Shree Hariに彼の著作の翻訳を頼まれたので、今後も出来次第載せていきます。
平成23年5月17日火曜日
Butoh in Sydney
先週、シドニーで開催された大野慶人先生の公演とワークショップに行ってきました。
先週末、Tess DeQuincey氏によるBody Weatherの3日間のワークショップをブリズベンでした後、シドニーで大野舞踏。舞踏週間でした。
火曜日朝のフライトでシドニーへ。午後にNew South Wales Art Gallaeryでの写真家細江英公氏のレクチャーへ。都会の中心でありながらも、広い緑の公園の中にあり、海に面した気持ちのよいところ。
レクチャー前にカフェで慶人先生に遭遇!久しぶりの再会を喜ぶ。今回は今年大学を卒業されたお孫さんと一緒に来られました。
細江英公氏のレクチャーでは、舞踏家土方巽や大野一雄、大野義人、作家三島由紀夫の撮影時のエピソードなどが印象的でした。60年代当時挑発的で画期的な写真達がどのように生まれたか。話を聞いていたら、禁じられた遊びを楽しむ子供の気持ちを思い出しました。
Yoshito Ohno & Eikoh Hosoe
翌日は、午後大野慶人先生のパフォーマンスと細江英公氏の対談が同ギャラリーでありました。
この日が細江氏の写真展のオープニングで、父大野一雄の写真達の前で、慶人先生が踊り、対談では、一雄先生が写真を撮られながら踊りのアイデアを生み出していた話などがされました。
シドニー在住の舞踏家達、日本の大野スタジオを訪れたことがある人達からのひとことと舞踏のショートデモなどもありました。
最後は土方巽の振り付けの踊りを披露されました。彼が死の直前に後世に伝えるよう慶人先生に引き継いだものだそうです。
一緒にシドニーに来た友人ミーガンの沖道ヨガの師、シドニー在住のまさこさんにも初めてお会いしました。沖道ヨガのオーストラリアの母として慕われる方で、公演後、日本食ディナーへ。たくさんためになるお話を聞き、母の暖かみに触れ、素晴らしい時間を過ごしました。
Masako & Megan
3日目、舞踏ワークショップがありました。Rushcutter Bayという港に面したDrill Hallというダンススペース。
Rushcutter Bay
先生は、港と船を見て、横浜を思い出すと言っていました。
Body exists only when it's created, and is also surreal.
花、堅いとやわらかい、高いと低い、大きいと小さい、母の背中、1ミリの隙間、バラ園、子供、などを踊りました。
Drill Hall
花になるには、花を7年間毎日踊ること。最後に、練習道具として、バラの造花を全員に一輪ずつくれました。
ワークショップのあと先生と参加者達でディナーへ。
平成23年5月5日木曜日
女神巡礼
Durga Mandir, Varanasi
女神が好き。お寺参りによく行った。
ヴァラナシのドゥルガー寺院。グルジの家に行く通り道にあり、一番よく訪ねたところ。
温泉地Manikaranでは、シヴァの第3の目であるというドゥルガー、Naina Deviにも会いました。神話について書いてある看板。
Sunrise from Kunjapuri, Rishkesh
リシケシ近くの山の頂上に、Kunjapuriというドゥルガー寺院があり、そこで朝日を見てきました。その寺院のあるところに、シヴァの最初の妻サティの51部分に分裂した体の胸の部分が落ちたと言われています。
リシケシのシヴァ寺院Neel Kanthの近くの山の頂上にたつBhuvaneshwari寺院に初めて行った。とても気持ちのよい場所だった。村全体に女神の力を感じた。
Waterfall, Rishkesh
リシケシにある大好きな滝。中が鍾乳洞になっていて形や雰囲気がすごい。神聖な場所。
Ganges, Rishkesh
女神の河、ガンガ。
Chandi Devi Mandir Ropeway, Haridwar
ハルドワールでは、山の頂上のChandi Deviというドゥルガー寺院に初めて行きました。ロープウェーにのって。
去年クンバメーラで近くに住んだMayadevi寺院の10の知恵の女神達にもまたご挨拶に行ってきました。
平成23年5月3日火曜日
ギーターのエッセンス
第1章
物質への執着から、そのジレンマの中にとらわれ、人は何をすべきか、すべきでないかが不確かになる。
人は、幻想と幸せへの欲望にとらわれ、力を失うべきではない。
第2章
この体は壊すことが出来、この体を知るものは壊すことが出来ない。
この区別を重要視し、自己の義務をこなすこと。
この二つの解決法を実践し使うことで、心配や悲しみは終わる。
第3章
自己の義務を適切を、第1に他人の幸せのために、行いの成果に期待すること無く行うことにより、人は救済に至る。
第4章
自己の行いの縛りから解放されるための二つの方法がある。
1)行い(カルマ)の本質的な性質の気づき、利他的に義務を行うこと
2)最高の知恵の気づき
第5章
好ましい状況、好ましくない状況に直面して、人は幸せになったり、悲しんだりすべきではない。
変化する状況から幸せになったり悲しくなったりする人は、世俗的物質を超越して永遠の喜びを経験することはできない。
第6章
どのような精神修業からも均衡がやってくるべきである。均衡無しに、人は心の乱れから完全に解放され、平和を得ることは出来ないからである。
第7章
全ては神である。
これを受け入れることが、最高の精神修業である。
第8章
前の思考によって、この体を得た魂は、その結果を得る。よって、人は常に神を思い出すことに専念すべきである、また同時に人生の義務を満たすことである。そうすることによって、最後にも人は神を覚えていることが出来るからである。
第9章
全ての人が、カーストや人生の段階や組織(セクト)、国、人種、肌の色に関係なく、神の気づきを得る権利がある。
第10章
この世界で何か素晴らしいもの、非常に特別なもの、壮大なもの、秀でたもの、膨大な力をもったものなどを見たときはいつでも、これら全てを神のものとし、神を思い出すことだけをしなさい。
第11章
この世界を神の神聖な形(具現)と見ることで、全ての人は神の普遍的な形に気づくことが出来る。
第12章
体と感覚とマインドと知性と存在の全てと、自己を捧げる者、神は彼らを好む。
第13章
この世界には、知るべき一つの最高の意識だけがある。この究極の意識を知ることで、人は不死に気づくことが出来る。
第14章
この世界の束縛から解放されるために、この3つの性質を超越することである。
サットヴァ(善)、ラジャス(活動、情熱)、タマス(無知)。
人はこの自然の3つの性質、物質としての存在から、
一心の献身によって超越することができる。
第15章
この世界で主な恵みをもたらすもの、賞賛に値する人格、究極の一なるものは、神のみである。これを内側で全心で信じ、人は献身と神の賞賛に従事するべきである。
第16章
邪な傾向と間違った行いからのみ、人は生と死のサイクルにとらわれ、振り回され、悲しみを経験する。このサイクルを壊すためには、邪な傾向と不正を断つことが不可欠である。
第17章
深い信念と確信をもって行われる吉兆な仕事はどれも、まず神を思い出し、その神聖な名を詠唱することで始められなければならない。
第18章
全ての聖典の本質がヴェーダである、ヴェーダの本質はウパニシャッド、ウパニシャッドの本質はギーター、ギーターの本質は”シャラナガティ”(神に帰依すること)。堅い決意と内なる信念を持つ者は、ただ神に帰依する。神はその者を全ての罪から解放する。
"Essence of the Gita" Compiled by SANT SHREE HARI(http://meditationandyoga.in)
物質への執着から、そのジレンマの中にとらわれ、
人は、幻想と幸せへの欲望にとらわれ、力を失うべきではない。
第2章
この体は壊すことが出来、
この区別を重要視し、自己の義務をこなすこと。
この二つの解決法を実践し使うことで、心配や悲しみは終わる。
第3章
自己の義務を適切を、第1に他人の幸せのために、
第4章
自己の行いの縛りから解放されるための二つの方法がある。
1)行い(カルマ)の本質的な性質の気づき、
2)最高の知恵の気づき
第5章
好ましい状況、好ましくない状況に直面して、
変化する状況から幸せになったり悲しくなったりする人は、
第6章
どのような精神修業からも均衡がやってくるべきである。
第7章
全ては神である。
これを受け入れることが、最高の精神修業である。
第8章
前の思考によって、この体を得た魂は、その結果を得る。よって、
第9章
全ての人が、カーストや人生の段階や組織(セクト)、国、人種、
第10章
この世界で何か素晴らしいもの、非常に特別なもの、壮大なもの、秀でたもの、膨大な力をもったものなどを見たときはいつでも、これら全てを神のものとし、神を思い出すことだけをしなさい。
第11章
この世界を神の神聖な形(具現)と見ることで、全ての人は神の普遍的な形に気づくことが出来る。
第12章
体と感覚とマインドと知性と存在の全てと、自己を捧げる者、神は彼らを好む。
第13章
この世界には、知るべき一つの最高の意識だけがある。この究極の意識を知ることで、人は不死に気づくことが出来る。
第14章
この世界の束縛から解放されるために、この3つの性質を超越することである。
サットヴァ(善)、ラジャス(活動、情熱)、タマス(無知)。
人はこの自然の3つの性質、物質としての存在から、
一心の献身によって超越することができる。
第15章
この世界で主な恵みをもたらすもの、賞賛に値する人格、究極の一なるものは、神のみである。これを内側で全心で信じ、人は献身と神の賞賛に従事するべきである。
第16章
邪な傾向と間違った行いからのみ、人は生と死のサイクルにとらわれ、振り回され、悲しみを経験する。このサイクルを壊すためには、邪な傾向と不正を断つことが不可欠である。
第17章
深い信念と確信をもって行われる吉兆な仕事はどれも、まず神を思い出し、その神聖な名を詠唱することで始められなければならない。
第18章
全ての聖典の本質がヴェーダである、ヴェーダの本質はウパニシャッド、ウパニシャッドの本質はギーター、ギーターの本質は”シャラナガティ”(神に帰依すること)。堅い決意と内なる信念を持つ者は、ただ神に帰依する。神はその者を全ての罪から解放する。
"Essence of the Gita" Compiled by SANT SHREE HARI(http://meditationandyoga.in)
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