平成23年5月3日火曜日

ギーターのエッセンス

第1章

物質への執着から、そのジレンマの中にとらわれ、人は何をすべきか、すべきでないかが不確かになる。
人は、幻想と幸せへの欲望にとらわれ、力を失うべきではない。

第2章

この体は壊すことが出来、この体を知るものは壊すことが出来ない。
この区別を重要視し、自己の義務をこなすこと。
この二つの解決法を実践し使うことで、心配や悲しみは終わる。

第3章

自己の義務を適切を、第1に他人の幸せのために、行いの成果に期待すること無く行うことにより、人は救済に至る。

第4章

自己の行いの縛りから解放されるための二つの方法がある。
1)行い(カルマ)の本質的な性質の気づき、利他的に義務を行うこと
2)最高の知恵の気づき

第5章

好ましい状況、好ましくない状況に直面して、人は幸せになったり、悲しんだりすべきではない。
変化する状況から幸せになったり悲しくなったりする人は、世俗的物質を超越して永遠の喜びを経験することはできない。

第6章

どのような精神修業からも均衡がやってくるべきである。均衡無しに、人は心の乱れから完全に解放され、平和を得ることは出来ないからである。

第7章

全ては神である。
これを受け入れることが、最高の精神修業である。

第8章

前の思考によって、この体を得た魂は、その結果を得る。よって、人は常に神を思い出すことに専念すべきである、また同時に人生の義務を満たすことである。そうすることによって、最後にも人は神を覚えていることが出来るからである。

第9章

全ての人が、カーストや人生の段階や組織(セクト)、国、人種、肌の色に関係なく、神の気づきを得る権利がある。

第10章

この世界で何か素晴らしいもの、非常に特別なもの、壮大なもの、秀でたもの、膨大な力をもったものなどを見たときはいつでも、これら全てを神のものとし、神を思い出すことだけをしなさい。

第11章

この世界を神の神聖な形(具現)と見ることで、全ての人は神の普遍的な形に気づくことが出来る。

第12章

体と感覚とマインドと知性と存在の全てと、自己を捧げる者、神は彼らを好む。

第13章

この世界には、知るべき一つの最高の意識だけがある。この究極の意識を知ることで、人は不死に気づくことが出来る。

第14章

この世界の束縛から解放されるために、この3つの性質を超越することである。
サットヴァ(善)、ラジャス(活動、情熱)、タマス(無知)。

人はこの自然の3つの性質、物質としての存在から、
一心の献身によって超越することができる。

第15章

この世界で主な恵みをもたらすもの、賞賛に値する人格、究極の一なるものは、神のみである。これを内側で全心で信じ、人は献身と神の賞賛に従事するべきである。

第16章

邪な傾向と間違った行いからのみ、人は生と死のサイクルにとらわれ、振り回され、悲しみを経験する。このサイクルを壊すためには、邪な傾向と不正を断つことが不可欠である。

第17章

深い信念と確信をもって行われる吉兆な仕事はどれも、まず神を思い出し、その神聖な名を詠唱することで始められなければならない。

第18章

全ての聖典の本質がヴェーダである、ヴェーダの本質はウパニシャッド、ウパニシャッドの本質はギーター、ギーターの本質は”シャラナガティ”(神に帰依すること)。堅い決意と内なる信念を持つ者は、ただ神に帰依する。神はその者を全ての罪から解放する。


"Essence of the Gita" Compiled by SANT SHREE HARI(http://meditationandyoga.in)

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