平成21年11月30日月曜日

デリーからサールナートへ

ナマステ!インドに来て、あっという間に2週間が経ちました。やっとインターネットができました。まずは、インド到着時の体験から。。。

16日の夜10時にデリーの空港に到着。飛行機を降りた途端、税関の列はものすごい人です。インド人も外国人も混ぜこぜ、並び方に秩序はなさそうなので、私もそれにならって適当に並びます。簡単な健康診査の後、入国審査です。

どこから来たの?と聞かれ、ジャパン、と答えると、ジャパ〜ン!!と大きな声で繰り返してくれます。普通は旅の目的などを聞かれるのですが、ここでのおじさんの質問は『What is the full form of Japan? 』でした。
日本の完全型は何か??う〜ん、ちょっと意味が分からないので、Full formってどういう意味で?と聞くと、その質問には答えず、『The full form of Japan is, "jumping and pumping."』と答えだけ返されました。全く意味の分からないまま、入国審査終了。
おもしろいとかおもしろくないとかの次元にも行けない、本当の意味不明で、その後しばらくその謎に満ちた答えに想いを巡らせましたが、考えてもわからないのでやめました。
摩訶不思議インドの始まりを実感。

この日は大雨。プリペイドタクシーでメインバザールの安宿街へ。途中バイクが車の目の前を横切る、時間が一瞬止まるようなヒヤッとする体験のあと、1時間ほどで到着。
タクシーを降りるとすぐに客引きがやってきます。以前も泊まったところに泊まるつもりだったのでそう言うと、そこは満員だ、とのこと。真実はわからないけれど、雨も凄いしそこは信じて彼のすすめるホテルへ。ホテルのマネージャーは、見た目子供?(15歳くらいにしか見えない)の非常ににこやかな元気な青年でした。とりあえず握手をもとめられ、10分ほどの会話のなかで3回くらい握手。一番良い部屋しか今はない、と言われ、別に良い部屋はいらないのだけれど、100ルピー値切って、そこへ。安宿街なので、それでも1泊千円くらいの、シンプルな部屋です。大きめの薄型テレビはありましたが。

12時頃部屋に落ち着き、シャワーをあびて、インドではちょっと珍しい、大きめ薄型テレビをつけてみる。私の好きなチャンネルは深夜も通しでやっている宗教チャンネルで、何百人も集まったキルタンの模様や、インドの神様の実写劇などが見れます。Rama神の格好をしたお兄さんがにこやかに歌っていました。なんだかおもしろくて平和で、こちらも笑みがこぼれました。

次の日は、昼前の電車でヴァラナシへ、そしてサールナートを目指します。
午前中に何でもそろうメインバザールで必要な買い物を済ませようと、お店が開く朝9時に外へ。シャンプーなどを買いに薬局にいくと、結婚しているのか、と聞かれる。この質問はインドではまず最初に聞くことのようです。それから歳をきかれ、その歳で子供がいないのか、などがいつもの流れです。
いろいろそろえたいものはあったけれど、お店はまだちらほら開き始めたばかり。日本の調子で、短時間で効率よく物事を進めようとしていた自分に気づき、ここはインド、流れに身を任せるのみ、と思い直す。とりあえず朝食だけ済ませることに。以前からお気に入りのお店で、Muesli入り大盛りフルールサラダ、50ルピー(約100円)をいただく。でも、食べ終わる頃にはいろいろなお店が開き、なんとか必要なものはだいたいそろう。

ホテルをチャックアウト、サイクルリキシャー(人力車タクシー)で駅へ。舗装されていないぼこぼこの道でリキシャーは揺れまくり、前日の雨で道はドロドロ。そこへ、私の宝、タンプーラが落ちる。。。道は泥なので柔らかいから壊れる心配はありませんでしたが、ケースは見事なまでに泥まみれになりました。落ちる瞬間に、あ〜っ!と声は出たものの、もう落ちたものはしょうがない、心は意外と落ち着いたまま、拾い上げる。ここはインド、こんなこともある。

駅に着くとポーターがよってくる。大荷物なので頼む。会話は、結婚してるの?ボーイフレンドはいるの?から始まり、だんだん下世話な方向へ。もうつきあっていられない内容になってきたので、適当にあしらう。

17時間の列車の旅は、とても穏やかに過ぎていった。向かいに座っていた親子は、息子が非常に親孝行で、両親の食事の世話、寝床の支度など、全て息子がやっていて、見ていて心が洗われました。

次の日の朝4時45分ヴァラナシ着。駅の中でも外でも地面は寝ている人で埋め尽くされている。踏まないように気をつけなきゃ行けない。タクシーでサールナートのVipassana瞑想センターへ向かう。ふがいなくもぼったくられる。

そしてサールナートの中心地から5キロのとても静かな農村へ。10日間の瞑想の夜明けです。

平成21年11月16日月曜日

ありがとう日本、まもなくインド

今マレーシアのクアラルンプールの空港にいます。インド行きの飛行機にここで乗り継ぎします。

4ヶ月間お世話になった日本に感謝を送るとともに、近づいてきたインドにわくわくしています。


土曜日は、原宿メコノプシスで、最後のワークショップとコンサート。ワークショップでは、平和のマントラ、不死のマントラ、許しのマントラ、プージャマントラなどを取り上げました。いつもよりも参加者の方が積極的に質問やコメントしてくれてとても良かったです。


コンサートでは、2週間前の楽道庵でもご一緒してもらった、カンノケント君をタブラに向かえ、マントラ詠唱とキルタン。みなさんの手拍子も加わって、最後は彼のタブラソロもちょっと披露してもらい、左手の指のないタブラ奏者のとても上手な演奏にみんな感激。


コンサートのあとは、鍋パーティ。いってらっしゃい!の乾杯。メコノプシスさんのほうでプロのシェフの方を呼んでくれて、彼の仕込んだ鍋を特製味噌だれでとてもおいしくいただきました。


メコノプシスの1階がカレー屋さんなのですが、そこに行こうとしたら閉まっていて、迷い込んだ彷徨い人の方なども加わっていただきました。なぜか今年2回もインドに行っている人で、きっとここにも呼ばれてきたのでしょう。
この会をもうけてくれたメコノプシスさんに大感謝!


日曜日は、夕方から、神田の楽道庵で舞踏を見に行ってきました。去年大野先生の研究所に舞踏を学びにきていて今年もやってきたハンガリーのトップダンサー、BATARITAのMOON GIRLという公演でした。少女から女性、清純から狂気まで、月のように本当に様々な表情を見せてくれました。大野義人先生をはじめ、大野舞踏研究所の研究生の人たちもたくさん見に来ていたので、舞踏仲間とも行く前に楽しい夜を過ごせてよかったです。

さて、家に帰り、いっさい荷造りをしていなかったので、2時まで荷造り。4時半起き。飛行機でたくさん寝ました!

平成21年11月13日金曜日

紙一重、身に沁みる

インド出発前最後の舞踏のお稽古。早めに行って一雄先生に挨拶した。またインドに行ってきます。その間もお元気でいてください、と。

紙一重の隙間を踊った。奈良のある観音様の写真を見せられ、その観音様は胸の前で合わせた手のひらの間に隙間がある。その隙間を手のひらや、脇の下や、太ももの間に作った。するとそこに繊細さが生まれる。触れていて触れていないような手、歌舞伎の女形のように、足をそっとすり合わせるような歩き方。優雅さと柔らかさの練習。

綿を裂く。綿を裂くとき、最初は力がいるけれど、引っ張るうちにふわっと力はいらなくなる。力が入ると体は固く、力が入っていないと体は柔らかい。それに応じて目も変わる。固さと柔らかさの表現。私たちは既にこの体の中にすべてを持っている。

先生がこの日横浜で、秋田のお祭り、なまはげのお面をかぶった10人くらいの集団に遭遇したとのこと。お稽古場にあるお面で鬼ごっこ。みんな内なる子供にかえる。

身に沁みる、という表現を日本語ではする。身に沁みる、ということをバケツの中の水にゆっくり手を入れてその温度や質感を感じることで体験した。あぁ、水だぁ、という実感。感情も音楽も染み込ませて踊ること。

バケツの水を運ぶ。時に感じる人生の重さを感じながら、重いバケツを持ってゆっくり歩く。そして体にその重みを覚えさせれば、バケツを運ばなくても重さを表現できるようになる。

糸通し。針と糸が手渡され、針に糸を通しながら歩く。人生でもこういうもどかしさ、難しさを経験することはある。それでもまっすぐ前を見つめて歩くこと。

平成21年11月11日水曜日

悲しみの花、空の竹

今日も舞踏のお稽古へ。今日は特に感情が動かされる強烈な内容でした。

まずは、空間を見る。踊るときは外ばかり見ずに、内を見つめることも大事。でも見るということを知らずに、見ないで踊ることは出来ない。いつも見ている稽古場を、再び深く見る。触れて感じるように見る。感動が生まれるように。
日常生活もこういう風に見ることが大事だと思った。いつも同じと決めつけず、真に目を見開けば、そこには新鮮な発見があるはず。


まる、三角、四角。千厓和尚の禅画。空間は使い方で形を変える。また、空間の角、隅にはエネルギーが宿る。

芯について。あの人は芯が通っている、という言い方をよく耳にする。私たちは目に見えない芯の存在をを感じ取ることが出来る。芯の通った花になる。足元は地と繋がり、頭頂は天に向かって咲く花。天と地と繋がる。光と闇を繋げる。

悲しみの花。自分が花を運ぶ、また花に運ばれる、二つの歩き方がある。自分は消して、自分の悲しみを花に移し、花を主役に踊った。花を見ただけで悲しみが表現されていれば本物。今自分の持つ悲しみって何だろう、と考えた。特にないと思った。でも次の瞬間ふとした気づきに涙があふれた。それは悲しみだけじゃく、反省とある人への許しの涙だった。体を動かすことで、無意識から呼び起こされた感情と出会った。それをただ無心に踊りに託すことは、とても力強い癒しになった。

岩になる。石の密度を踊った。固いからだ。制限された動きの中で悲しみや怒りなどの感情を表現した。

木になる。木造建築は柔らかい。柔らかいところに住めばそれは体に表れる。新宿の鉄筋コンクリートのビル群を歩く時は、歩き方もカチコチしてしまう、と言って実演した先生の姿が笑いを誘う。木製の仏像の写真を見せられ、優しく微笑む木の仏を踊った。世の中、笑うことは大事。

体、という漢字は、空、という漢字がもとになっている。かぐや姫は空洞の竹から生まれた。それは体は空という発想から来ている。この体は竹のように空洞。空の体から何かが生まれる。固くなり緊張したらそこからは何も生まれない。

点になる。メモ帳とペンを配られ、自分は点である、といい聞かせる意味で、点を書きながら踊った。踊りは線と思いがち。線も良い。でも点になることも大事。上下四方の空間に囲まれると最終的には点になる。点になるとき、止まって空になる。そして次の動きは自然に湧き出て自由を謳歌する。

雑巾絞り。手ぬぐいを精一杯絞りながら、命の最後の一滴を絞り出す。フォルテ・ピアニッシモ。これが難しい。内面を強く表現しながらも、うるさくなりすぎてはいけない。強くて静かな動き。

平成21年11月9日月曜日

流れ、自由、闇、ねじれ

週末から今日まで、Jordan Bloom先生のアヌサラヨガのトレーニングの通訳を3日間していました。アヌサラヨガは、タントラ哲学を背景とし、アラインメントの原則において特徴的なヨガです。哲学と実践を組み合わせた内容で、講義で学んだコンセプトをアサナの練習を通じて体で表現していきました。

Anusaraという言葉は、大いなる流れに身を委ねる、などと訳されるサンスクリット語です。英語では、Open to Graceなどと訳され、それがアヌサラヨガの究極のテーマになります。そこで大いなる流れに身を任せるということについて話していきました。

ヨガは、いつでも平和でハッピーになるためのものではない。人生では良いことも悪いこともいろいろ起こる。サーファーは、どんな波が来ても上手に乗っていくように、人生どんな波が来ても、受け入れてそれに乗る。抵抗すれば波にのまれて完全にコントロールを失う。どんな波が来るかはほぼコントロールできないけれど、どんな波でも強さと柔軟性を持って上手に乗ることは出来る。ヨガの練習を通じて、人生の偉大な流れに逆らうことなく、ありのままを受け入れて、ともに流れていく術を身につけていくことが大切。

自由に関して。自由と制限のバランス。完全な自由はある種の混沌を招く。適度な構造を与えながら、さらなる自由を体験する。私たちは常に自分で選択する自由がある。自分でした選択、結果にも責任を持つ。どんな状況に対しても一切の被害者意識は捨てること。自分で責任もって選択をし、一切後悔はしない。自分の意識世界を支配する王様、女王様になること。


土曜夜は大野先生の舞踏研究所お稽古へ。

空間を感じる。そこにある何かを感じる。
以前一雄先生がある横浜の入れ墨師に感銘を受け、研究所に招待したらしい。そうしたら全身入れ墨の人を6、7人連れてきてくれて、研究所で脱いでみせてくれたとか。それを機に一雄先生の踊りはまた変貌を遂げたとのこと。
どの空間にも歴史が刻まれている。この研究所に刻まれた入れ墨に、目を見張るように踊りました。

光と闇。根っこは地の闇の中、花は天の光へと伸びる。体の芯を通し、花になり、光と闇両方と繋がりました。

大野一雄とともに舞踏を作った土方巽の生前の話。土方巽の踊りは、暗黒舞踊と呼ばれ、まさに暗黒なものでした。義人先生によると、彼のお兄さんは兵隊に行き、お姉さんは芸者に売られ、極寒の秋田で非常に貧しい環境に育ったそうです。彼ととても親しかった義人先生によると、その暗さは半端じゃなかったそうで、飲み屋にいても土方さんのまわりだけなんだか暗かった、帰る時の背中もとても暗かった、とのこと。先生のまじめな言い方に笑いが起こる。でもやはり、さすが、革命的な暗い踊りを作るだけの人です。

花を落とす。そのときも、舞踏。どう落とすかが大切。日常も含め、全てを舞踏にする。

空間をねじ曲げる。ゆっくりと回りながら、ぎゅいーーっと中心軸からねじられていく空間。これは比較的長い時間やりましたが、中心軸から一切ずれずに動くことは、かなりの集中力を必要とし、よい練習でした。

演劇評論家の郡氏正勝さんの言葉。「なにかやろうとするからつまらない。」何かやってみせることが仕事の表現者にとっては厳しい言葉ですが、無駄に動き回って自分の表現を押し付けずに、想像の余地を与えることの必要性、確かに理解します。頭で考えて作られたものよりも、思考の止まった無の状態から生まれてきたものの方が力を持つということはよくあることです。

平成21年11月6日金曜日

休日


朝のヨガの後、もう1年くらい美容院に行っていなかったので、インドに行く前に行こうかなと思い向かう。でも行ったら混んでいたので引き返し、海へ。

今日は海に豪華客船が浮かんでいました。どこからやってきたかわからないあの船の中にもさまざまな物語があるのだなあ、としみじみ。

先のことを考えている自分に気づいたので、今はそんなこと考えなくていいじゃん、と呼吸に意識を戻したり。
浮かぶままにマントラを口ずさんだり、Yoginiという今読んでいる本を読んだり。著者が崇拝する神に実際に遭遇したときの体験談など興味深い内容が含まれています。


夕日を見てから家に帰って、自分で髪を切る。自分で切るの好きです。

アムステルダムに住む友人と久しぶりにスカイプで会話する。エンターテイナーな彼との電話は、ハングの演奏で始まりました。前回の来日では京都で着物を50枚買ったとのこと。大人買い!

今、吸血鬼に関する海外ドラマを見ています。ミステリアスで、エッチで、血がたくさん出てきます。友達に勧められて見始めたのですが、けっこうはまってしまい、12回分ハイペースで終了。

ドゥルパドの練習。久しぶりにちゃんと向き合う時間が取れたという感じでした。喉を振るわせて声を揺らす技法があるんですが、それが前よりできなくなっていて、ふむ、まずいな、と思う。練習不足で喉筋が落ちたようです。巧くなるのは難しいけど、下手になるのは本当に簡単で、毎日の練習の大切さを改めて実感。今の自分が優先したいことは何なのかを見つめ直す良い教訓でした。

明日は1日通訳した後、舞踏。早く寝て英気を養おう。

平成21年11月4日水曜日

感謝状

最近はワークショップが続きました。

10月31日は、鎌倉のHAMMAMでハタ/マントラヨガと陰ヨガのワークショップ。ワークショップ後は、おいしいお茶と乾燥いちじくがふるまわれ、参加者の方々とおしゃべりしながらいただきました。今回のワークショップを提案企画してくださった麻衣子さんに感謝します。

11月1日は、新宿のスタジオヨギーでマントラワークショップ。ヨギーでトレーニングの通訳をしているときヨギーのアヌサラヨガ教師のユウさんからお話をいただきました。実現まで多大な協力をしてくださったユウさんに深く感謝します。自分のクラス担当後に突如参加してくれたアヌサラ教師トシ君もありがとう。


11月3日は、神田の楽道庵でナダヨガワークショップとコンサート。先月の開催後、オーナーのひでおさんより、行く前にもう一回やりませんか?と言っていただき、急に企画したのですが、前回よりも人も集まってくれてよかったです。ひでおさん、ありがとうございます。
参加者の中にとても勉強熱心な常連さんがいたこともあり、いつもとがらっと内容を変えてみました。彼女が、以前のWSを録音したものを素敵なデザインのCDにしてプレゼントしてくださいました。
キルタンにタブラで参加してくれたケント君、左手の指がないのに、とても上手でびっくりでした。貴重なタブラ奏者です。コンサート後のパーティでは、お家が楽道庵から30秒ということで、自作の南インドカレーまで振る舞ってくれ、これがすごくおいしかった!「嫁にやっても恥ずかしくないでしょ」と自分で言うおちゃめな彼。
また、ある参加者の方から、「歌ってる時はシャーマンみたいなのに、終わるとほんとぽにゃ〜としてる」と、歌う時の集中力と対照的な力の抜けっぷりを褒められました。そんなに抜けてるという自覚はなかったのですが(多分それが普通だから)、うれしい言葉でした。
そしてなにより、終わった後の参加者の方々の幸せそうな顔が、私の元気の素です。

いやあ、改めて人の支えを実感した、感謝感謝の日々でした。