平成21年7月16日木曜日

Nirvana Shatakam

ニルヴァーナ・シャタカムという詩を紹介したいと思います。
リシケーシュで習ったマントラの一つで、その意味を最初に見たとき、少しギョッとし、同時になんだか心が躍ったのを覚えています。

8世紀の偉大な聖者シャンカラチャリヤがアドヴァイタ・ヴェーダンタ(非二元哲学)を6編の詩にまとめました。8歳の男の子が、グル(師匠)をもとめてヒマラヤをさまよっていると、そこに聖者が現れ、"Who are you?" と聞きます。それに対する男の子の答えがこの詩です。そして、この聖者こそが、彼が探し求めていたグルだったのだそうです。

8歳でこの答え、すごいなあ。。


Mano-buddhy-ahankara cittani naham na ca srotra-jihve na ca ghrana netre
Na ca vyoma bhumih na tejo na vayuh Cidananda rupah sivoham sivoham

Na ca prana samnjo na vai pancavayuh na va sapta-dhatuh na va panca-kosah
Na vak-pani-padam na copastha-payu Cidananda rupah sivoham sivoham

Na me dvesa ragau na me lobha mohau mado naiva me naiva matsaryabhavah
Na dharmo na cartho na kamo na moksah Cidananda rupah sivoham sivoham

Na punyam na papam na saukhyam na dukham na mantro na tirtham na veda na yajna
Aham bhojanam naiva bhojyam na bhokta Cidananda rupah sivoham sivoham

Na mrtyur na sanka na me jati bhedah pita naiva me naiva mata na janma
Na bandhur na mitram gurur naiva sisya Cidananda rupah sivoham sivoham

Aham nirvikalpo nirakara rupo vibhutvacca sarvatra sarvendriyanam
Na ca sangatam naiva muktir na meya Cidananda rupah sivoham sivoham


私は、自分の思考でもなく、知性でもなく、記憶でもエゴでもない。耳でも舌でも鼻でも目でもない。
地でも空でも火でも風でもない。私は無限の意識、純粋な自己である。

私は、5つのプラーナでもなく生命の息でもない。私は、7つの体の部位でもなく、5つの鞘(Kosha)でもない。
私は、会話の器官でも手でも足でもない。生殖器でも肛門でもない。私は、無限の意識、純粋な自己である。

私には好き嫌いもない。強欲、妄想もない。うぬぼれや嫉妬もない。
法や富や快楽や悟りを追い求めることもない。私は無限の意識、純粋な自己である。

私には、罪も徳もない。喜びも悲しみもない。私には、マントラ、聖地、ヴェーダ、儀式も存在しない。
私は、経験でもなく、経験の対象でも経験している者でもない。
私は無限の意識、純粋な自己である。

私には死もなく、疑いもなく、カーストの違いもない。父も、母も、誕生もない。
教師も、生徒も、親戚も、友人もない。私は無限の意識、純粋な自己である。

私は、思考、形から解放されている。私は全ての感覚器官に繋がり、あらゆるところに存在する。
私は束縛と自由にとらわれない。
私は無限の意識、純粋な自己である。

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