中秋の名月。舞踏のお稽古へ。
絞る。感情を絞り出す。
いろいろな絞り方が出来る。今の感情を絞り出す。今日は悲しい、怒った!、幸せ。。。
今は絞るという動きをする機会が少ない。昔母親は洗濯をし、その日の感情を絞り出し、もしその日悲しいと感じていても、子供が帰ってきたときには、笑顔でおかえりなさい、と振り向いた。
土方巽はあるとき髪を伸ばし始めた。自分のなかにおねえさんが棲んでいると言い始めた。幼い頃芸者に売られた姉。私がしゃがむとおねえさんが立ち上がる、と。しゃがむ時には上に引っ張る力がある。立ち上がる時、下に向かう力がある。
面影。小泉八雲は、はじめて日本に来た時、母国への手紙に、「日本は面影のある国です。」と書いたそう。母の面影。感情の面影。
母の肖像。大野一雄は女の肖像を作ったと言われている。でも、まだ母の肖像を作った人はいない。子供はおかあさーん!と幸せな母の背中に抱きつく。背中に表れる母の感情。背中にさまざまな感情を表現する。
明日先生は銀座でシャンソンに合わせて踊るそう。フランス音楽には軽さがある。面影を残さない。後に引っ張らない。軽く楽しんで、さようなら、と潔く去る。それに 比べ、日本の音楽は、じとーっといつまでも引っ張る。
その軽さは、ただ軽い訳ではない。実は軽くて重い。軽さの中にも人生の深みがある。
シャンソンに合わせて、軽さを踊った。
シャンソンには、語りの部分と歌う部分がある。歩いたり、軽く踊ったり。軽いステップも取り入れながら。
空間とラブする。空間と対話。
今日は、中秋の名月。ベートーベンの月光にあわせて、全員で手を繋いで、満月を踊った。個と全体の意識。全体のエネルギーを感じながら、いかに自分らしさを表現するか。全体との繋がりの中でいかに自分らしく生きるか。個ばかりが強調される社会。一人で動こうとしすぎてはいけない。次は荒城の月にあわせて、もっと受け取る踊りを。
祈り。あからさまに祈りの動きをするのではない。
宗教闘争など、波乱や困難に満ちた世界。祈るしかない。
先生が小学校で教えたときの話。
体育館で1、2、3年生、4、5、6年生とわけて教えたそう。「いつもこの体育館で遊んだりしてるんでしょ」と子供達にまず問いかける。「じゃ、この体育館 のいろいろなところに走っていって、ありがとう!っと言うんだよ」と。子供達は喜んで駆けていってありがとう!と言っていたそう。「そうしたらもし一人でもこの場所が一緒に遊んでくれるよ、ひとりじゃないんだよ。」と先生。
小学校の先生から、子供の内側を引き出す方法を知らない、と相談を受けたそう。教えるばかりで一方的な教育で、中身を引き出せないと。
雑巾を絞る。今日は怒った!それならそういう絞り方をしなさい、と。あとで子供が書いた感想文の中に、「ストレスが発散されました」というのがあったそうだと笑う先生。今の子供の多くは吐き出すところがなくて、ストレスがたまっているのだろう。
次はティッシュペーパーで花を作って、まわりで見ているお母さんのところに持っていって、写真をとってももらいなさい、と。すると子供達は花を作って喜んで親のところへ駆けていき、ティッシュの花と一緒に写真を撮ったとのこと。
0 件のコメント:
コメントを投稿