稽古開始前、稽古場にあった大野一雄写真集、『胡蝶の夢』(細江英公撮影)を眺めていた。写真とともに彼の言葉が記されている。特に印象に残ったふたつの言葉。
ゆっくりでいいから
あらゆる瞬間が生きている
宇宙から誕生した生命
生命から誕生した宇宙
この二つはひとつのものだと思っています
あらゆる瞬間が生きている
宇宙から誕生した生命
生命から誕生した宇宙
この二つはひとつのものだと思っています
慶人先生が現れ、お稽古開始。
花。芯の通った花になる。天と地、光と闇の両方に繋がる中心軸を作る。
“身体は創造してはじめて存在する”
彫刻は縦線と横線からまず作る。その二つが出来ていないと、作っても次の日ぐちゃっと倒れてしまう。
興福寺の阿修羅像の写真を例として見せられる。千年以上変わらず存在する理由は、しっかりとした芯にある。そして、芯という字は、草の心と書く。
今手に持つ薔薇の花で、縦線を確かなものにする練習をする。茎が体の中心軸。花は天に向かって咲く。
立つということ。内側でぐわー!っと竜巻が起きていながらも、ただまっすぐ静かに内の激しさを秘めて立つ。
舞踏では体のあらゆる部分が目になりうる。頭もひじも背中も。そしてどこから見ても花になる。
ここでは頭頂部に目がある。いつもの目で見ない。この目で宇宙と対話する。
“頭頂の目で宇宙と対話する”、この言葉を聞いた途端、意識と動きに変化が起きた。
大野一雄の写真をジャケットに使用し、ヨーロッパ1位の大ヒットを記録した歌手Antonyは、大野一雄の踊りを見て、「自分の中の聖なる子供が目覚めた」と言ったそう。芸術家の仕事は、その聖なる子供を見つけて育てること。
頭の上に200メートルの仏舎利塔が伸びていると想像。それを軸に回る。
ただよくある線を描くのではない。予測できない線、予測できない動き。
土方巽は、4000年の時を歩け、と義人先生に言ったという。
ただ普通に歩くのではいけない。舞踏はゆっくり歩くことが多い。ベルリンの壁が崩壊した3日後、大野一雄がベルリンで公演したときのこと。ドイツの人々は、すぐそこの壁の向こうへ歩いていくのに、20年以上かかった。その間に命を落とした人も多い。その時間を歩くということ。
円。まる。
満月を見て、ああ美しい、と人は言う。
建長寺の冊子の表紙も、まる、ただそれだけ。禅僧もまるを描く。
夫ジョンレノンが暗殺された直後、オノヨーコはひたすらまるを描き続けたという。深い悲しみのなか、そうやって心を落ち着けたとのこと。
湾岸戦争勃発時にニューヨークで3日間の舞踏ワークショップの最中だった義人先生は、その知らせを聞き、どんな芸術的表現も意味を持たないような悲しみと混乱の状況の中で、祈りの気持ちとともに、ただまるを踊ったそう。
「戦場で踊れるような踊りをしてみなさい」
お稽古の後は、いつもお茶と談話。
先週先生に私のCDを渡した。お世辞など決して言わない先生に、「歌とてもよかったですよ」と大きく見開いたキラキラした目で言われ、心の底からうれしい。
帰りの電車では舞踏仲間の話をききながら、彼の本気さと成長をびしびし感じ、喜びと良い刺激を感じる。彼の通う、厳しい目を前に緊張感で死にそうになるという恐怖の稽古と、そこから得られる神秘体験とも言える貴重な宝。その稽古に誘われ、正直こわいけど、これは逃げるべきじゃないなとも思う。
『宇宙の分霊として』、これは舞踏家、故大野一雄の言葉。現代詩手帖の9月号は、大野一雄特集。
90歳のときのインタビュー、一部を引用。
“私はここ3、4年「宇宙意識の分霊」ということをしきりに考えるようになっておるんです。どういうことかというと、こうして美しく咲く梅の花はもちろんのこと、人間を含むあらゆる生物、そして無生物、極端にいえばごみさえも、それから山や川、海や空さらには地球もすべては宇宙から分け与えられた命によって成立している、との認識です。
例えば赤ん坊。何億という数の精子のなかのたったひとつと結びついた卵子は、やがて母親の子宮にすみつくと同時に母の命を食べて成長してゆくわけです。逆に母は命を削られながら一歩ずつ死に近づくわけですよね。だから私は、死というのは終わりではなく新しい命の始まりであるとも思うのですよ。そうやって宇宙から分け与えられた命は愛によってつながっておるのではないかと。”
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