今日の舞踏のお稽古。
普通ダンススタジオは鏡張りのところが多い。でもこのスタジオには鏡がない。ではどうやって自分の姿を知るか?
歩きながら、ゆっくり前から手を上げ、横からおろしていく。
この動作をする中で、自分の動きを徹底的に見つめる。ただ無意識に線を描くのではなく、一瞬一瞬の形を見つめる。
こうして、鏡なしに自分の姿を知る。
バタイユは、『非連続の連続』と言った。日常は、一瞬の連続。
今この瞬間に存在することの大切さを説くあらゆるスピリチュアルプラクティスの教えを体で実践するような練習でした。
ロダンの『抱擁』を見て、空間と抱擁。空間には何もないのではない、何かがある。
空間にそっと触れ、抱きしめ、ときに口づける。
花。花の美しさを踊るのではなく、美しい花、そのものになる。ヨガ的に言うと、瞑想の対象物との一体化。
大地から伸び、まっすぐ太陽に向かって伸びる花のように、中心軸を通し、頭頂は天に繋がり、足下は地に繋がる。
頭のてっぺんで切れてしまっていては、まったく違ってしまう。
天と地に繋がるということ。それは、光と闇の両方を持つ、生と死の両方を持つ、ということ。
今日は、『死の灰』という写真集を見ながら、悲しみの花を踊りました。広島、アウシュビッツなどに花を捧げました。
花を運ぶのではなく、花が先に動いて、それについて行く。“自分”が動いているのではない。
先生が小学校で教えた時の話。
‘’花は、太陽にありがとう、大地にありがとうと言って咲くんだよ”
感謝の気持ちの大切さ。それをもつ人こそ強い。
ありがとう、と咲く花を踊りました。
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